But not to me

世界の謎を解こうにも、答えを持っていたかもしれない人はすでに死んでいる/未亡人の一年/ジョン・アーヴィング

遺品整理

亡くなった夫と暮らしていた部屋を引き払うことにした。

 

単身の引越料金は11万円、残りの荷物は一括で廃棄という契約をして、合計23万円ほど支払うことにした。

 

今はメルカリとかが普通だから、遺品を売ってお金を得ることもできる。

でもわたしは、自分が身銭をきることで、相殺感を味わいたかった。遺品整理で被る精神ダメージを、せめてトラウマにしないように、自分もそれ相応のダメージを具体的にうけることが重要というか…

 

(ちな、家族の遺品を売るのが悪いとか、そういうことはまったく思ってない。わたしに子供がいたら、子供のために売ってお金にしている)

 

行政に相談して紹介してもらった廃棄業者さんのことは信用しているけど、こういう世の中だし万が一にでも他人に売って欲しくないので、

 

「実はこれ、すべてに血がついてしまったんです。だから人には売れないと思ったんです。拭いてあるから目には見えないけど、血のにおいってしみこんでいるから、何かの拍子でたちこめちゃうんですよね…」

 

ものすごく不穏な感じで、全員にいちいち言い添えた。夫はあの世で爆笑してると思う。

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「冷蔵庫の中の女」はなぜ量産されるのか

夫を亡くしてから、というか、正確には夫が血液内科に入院したあたりから、地上波のテレビを殆どみなくなった。リビングのテレビは、PS4YouTubeNetflix、アマプラ、Hulu専用になってる。地上波は、平日の朝、時間を確認するために情報番組を流すぐらいで、通常時は海外ドラマや映画、アニメ、音楽などのコンテンツをアホほどみている。めっちゃ楽しい。

 

トマトメーターのように映画やドラマなどのコンテンツを格付けするサイトが盛んなアメリカには、こういう言葉がある。

 

「Women in Refrigerators 」

 

簡単に訳すと、

 

「男の物語の動機の強化のためだけに、登場する女性が無残に死ぬこと(そして彼女たちにはなぜか必ず性暴力も加えられている)」

 

有名なアメコミで主人公の恋人だった女性が、切り刻まれ冷蔵庫に捨てられていたというエピソードを、ファンダムが批判してからこう呼ばれるようになった。

 

「これはさんざん量産され、消費されつくしたクソプロット」「感覚の古さの証明でしかない」「そもそも脚本家に才能がない」などなど、たいていは辛辣な批判の文脈で多く使われている。

 

おかげで最近の欧米コンテンツからこのパターンは目に見えて少なくなった。同じく批判された「マジカルニグロ」とともに、消滅したんだと思う。

 

でも日本では、いまだにこの陳腐な物語が、量産されているから驚く。

 

男が奮起するための動機として「自分の所有する女が無残に殺された!!」みたいなプロットを書くのは、原始人みたいなセンスだし、女性への性暴力を追認しているだけで批判精神が欠落している。つまり、冷蔵庫にいれられた彼女たちを消費しているだけだし、結局のところ単なるマチズモでしかないよ。

 

ホモソーシャルの絆や、「男の物語を強化して描くため」だけに、女性のキャラクターは登場したかと思えばすぐにレイプされ、殺されたりする。あるいは、同じ理由で、癌や難病になり、ほどなく死ぬ。

 

死の衝撃度に比べ、彼女たちの内面は、薄っぺらにしか描かれない。男の人生の添え物のような描写しかされない。「誰かの」娘。「誰かの」妻。「誰かの」母。それ以外の評価はない。

 

ここで指す「誰か」とは、いったい誰のことを指しているのか、あるいは指していないのか、考えたことはあるだろうか。

 

その不幸な誰かがが、たとえば「男」ではないとしたら、この使い古されたプロットはどうなると思う?(それを作品にしたのが昨年度のオスカー受賞作「スリービルボード 」なので、観た人ならわかりやすい気がする)

 

でも日本の場合、家父長制を内面化した世代が多いので「そもそもそれの何が一体問題なのか、わからない」というところまでが必ずセットになってる。なんだかめためたに根深い地獄だな〜〜

 

そして、無残に死んでいった「冷蔵庫の中の女」、無名の彼女たちは、その死によってようやく話題にされる。「でも、彼女は好きで男に尽くしていた。彼女はそれで幸せだった!!」と勝手に代弁をされる。そしてなぜか、死んだ女の代弁者は、いつだっておっさんだ。もちろんミソジニーを内面化して名誉と化した女のおっさんも含まれる。残念だけれど、あなたはもう当事者ではない。

 

それと、女性への被虐表現を批判されると、ポリコレのせいでつまんなくなる!とかわめきちらすおっさんが必ずわいてくるけど、これを20年前に指摘されて、改善したアメリカ産のコンテンツは、別に失速してないし、むしろますますおもしろいよね?失速しているのはむしろ日本の地上波だけじゃないの

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なぜ女だけがその名前で呼ばれるのか

最近、cakesで妻と死別した男性と結婚した若い女性の連載がはじまった。

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わたしは夫と死別している側だから、この女性と立場は逆だけれど、興味深く読んでいる。

 

最初は亡くなられた方のことを「前の女」呼ばわりしているところがとてもしんどくて、読むのが正直つらかった。でも、彼女があえてそういう言葉を選んでいるのは、女性だけに使われる「後妻」という言葉の存在や、それがもたらす抑圧について書きたいからなんだと思う。

 

わたしも、かつてあれだけ「未亡人」という言葉を嫌悪して、そう呼ばれることを断固拒否していた。おそらく「未亡人」も「後妻」も、抑圧の根っこにある毒は同じものだ。敵は女じゃない。家父長制だ。

そう考えると、彼女の苦しみも理解できる。

 

彼女の感じている抑圧は、わたしの婚約者にも当然当てはまることなんだろうけど、でも彼は男だ。わたしが再婚で、彼が初婚であっても、いわゆる後妻のような呼び方をされたりは絶対にしないのだ。

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過去をイメージさせるもの

買い物中、何も考えずにテイスティングフレグランスをしていたら、ムエットで思いっきり10代の頃につきあっていた子たちが死ぬほどつけていた香りを嗅いでしまった。

 

彼らのことなんて正直すっかり忘れていたのに、脳に直接洪水がおしよせてくるみたいに、過去の自分たち、たとえそれが今の自分とあまりに違う人間に思えるとしてもかつて間違いなく自分たちだったものが、急激にリンクしてきて息が苦しくなってしまった。いくらなんでもエモすぎだろ…つって、昔の幻影にちょっと泣いてしまった。彼らに会いたいわけでは全然ないのにクソでかい感情に驚いた。

 

わたしにとっての「過去」とは、亡くなった夫そのもののことだから、夫と出会う前の自分のことを思い出すなんて、今までまったくなかった。あったとしても、「あのとき夫がわたしではなく、別の人をパートナーに選んでいたら、もっとずっと長生きできたのでは??」という、永遠に終わらない不毛な問いかけに関することでのみだった。

 

だからたぶんこれは、死別からの立ち直りにとって、とても良い兆候なんだと思う。10代の頃の思い出に心が助けられることがあるなんて、ほんと意外だった。

 

死別直後から、なにをみても夫のことを思い出して苦しかったけれど、最近は少し傾向が変わりつつある。

夫という人間を、自分の中で対象化できるようになってきた。

「わたしの夫」「長男」「義妹の実兄」「教師」という、属性や役割ではなく、彼という人間そのものがこの世に存在していたことについて、やっとまともに考えられるようになった。

 

去年、東京ではちゃめちゃに評判が良かった舞台「豊饒の海」をみたひとは多いと思う。

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この舞台のポスター、背景の色も海も俳優の表情もコピーライティングも最高すぎて、いまだに時を忘れて魅入ってしまう。

さっきの香水のように、あまりにも解像度の高い死者の姿を、夫がどういう人間だったかを、直接脳に押し込んでこられたみたいでしばらく言葉を失ってしまう。

 

芸術の中に、死んでしまった夫、夫というか彼自身の姿を、はっきりとみることができたことがただただうれしい。東出さんの見た目が似ているというわけでは全然ないのに、どうしてこれほど亡くなった夫を連想させるのか謎すぎる。

ちな、これは若くして死んだ男をめぐる三島由紀夫の小説が原作なので、死別した相手全員を投影できるようなタイプのものでは全然ないです。

男の書く死別ブログってちょっと辟易する

配偶者と死別した男性にありがちなんだけど、めちゃくちゃ褒めてるつもりで「妻は従順な女性でした」って言うの、うわ〜〜世代が違う…って気持ちになる。

 

妻を、ひとりの人間として思い出すわけじゃなく、先ずは「彼女がどれだけ自分に奉仕してくれた女だったか」ってことばっかり言ってるのって、そりゃまあわかるけど、でもそれだけしかないの??って薄く違和感を持ってしまう。

 

あなたの妻だったってこと以外にも、彼女にはきっといろいろな美点とかあったと思うんですよね。

 

彼女が、個人としてどんな人間だったかの描写はせず、「ごはんを作ってくれた〜」とか「家事をしてくれた〜」とか、献身ご奉仕ケアワークエピソードばっか言うのまじで男ばっかだよ。その点、配偶者を亡くした女性のブログは生前の夫の人物描写に厚みがあるんだよね。「いきいきとしたひとりの人間が、確かにそこで生きていたこと」が、ちゃんと伝わる文章を書くよね。

 

たいていの女性は、亡くなった彼の良い点ばかりではなく、欠落していた部分も真実としてちゃんと受け止めて、時とともに対象化して立ち直っていく。

「夫」や「父」という属性以前に、彼を人間として対等に見ることができている。そもそも喪の仕事としてブログを書いている人が多いし、ただの呪いの嘔吐に終わっていないから幼稚じゃないし、不健全じゃない。かわいそうアピールじゃない。つまり、女性の死別ブログは知的だし、他人の助けを待っているだけじゃなく、自分で着地点を模索してる。

 

なのに死別した男のブログは、「妻をなくした」≒「家事や育児をしてもらえなくなった」≒「それを失った自分かわいそう」≒「他の男たちは家事や育児をしてくれる【従順な女】を所有しているのに、自分だけ不当な運命だ」ってビービー嘆いてるパターンばっかで、正直ウエーって思っちゃう。

大げさな言葉を使って高尚さを演出しているけど、要するに我が身の不運を、不当だ!!って延々と愚痴ってるだけじゃん…念のために言うけど、そういうのが「男らしくない」からディスってるわけじゃないんだよ。男らしいとか女らしいとかむしろクソだと思っているからこそ、亡くなった人間をあくまでもいわゆる妻や母としての価値でしか評価できない男に気持ち悪さを感じてるんだよ〜

 

マジな話、男の死別者って「自分に従順な女」を失ったから悲しい、おれは世界を呪う!みたいな、クソなところが正直あるでしょ。

 

女の個性や人間性は見ようともせず、むしろはっきりとした主張のある女は憎いのに、「従順な女」は男全員に平等に分配されて当然な「もの」だって無意識に思ってない?

 

めちゃくちゃ残酷なこと言うようだけど、「妻」や「母」という属性のバイアスをとりはらってみたら、実は彼女のことほとんど何も知らなかったんじゃない?

「妻」や「母」という役割以前に彼女は「個性のある豊かな人間だった」ていうことを、彼女の人生を、自分が実際どれだけ見てあげていたのか、知ってあげていたか、あやしいものだよ。

 

もしかしてあなたが失ったのは、いわゆる「トロフィーワイフ」なのでは?自分の自意識のための添え物だったのでは?

 

家庭や家族以外にも楽しみを持っている、夫と子供だけが親しい人間だったわけではない、友人や趣味や学業や芸術やスポーツや音楽や読書や世界中への旅や冒険やその他にもたくさん楽しいことを愛していた豊かな人間としての妻を、彼女たちの夢見ていたものを、あなたがたはどれだけ知っていたんですか??まさかそういう点での反省は1㍉もない??すべてを知っていたと本気で思うの?

 

わたしは亡くなった夫のことを「自分の夫」という属性だけで評価したことはない。

彼がどういう人間だったかっていうことは永遠に忘れないし、ずっと感謝して愛していく。友人が多くて、人生を楽しんで生きていた彼のことを、再婚しても忘れることはないしそれが裏切りだとか思うような思考レベルの低い男とは付き合わない(だいたい亡くなってもう何もできなくなってしまった大切な人を再婚したぐらいでわざわざ忘れる必要なんてある??ただ死者と生身の人間を同じ土俵で比較するのは間違っていると思うしそんなこと当然やらねえよ。普通にモラハラじゃん)

 

けれど、稼いでくれた!とか浮気しなかった!とか社会保障で死後の生活も守ってくれた!とか、「夫」として優秀だった側面しか言わないのって、他に彼のパーソナルな良い面を誰よりも知ってるはずなのに、普通に不自然じゃない?

 

延々といつまでもそういうことばっか言うのって、なんか不自然だよ。もしかして生前の彼女の他の面を見ようともしなかったから、そういうことしか言えないのかな…?ってちょっと血の気がひくワ〜

「自分に尽くしてくれた」ってところ以外に、他に良いところ良い思い出、いっぱいあったはずじゃん??なんかすべての文章が、亡くなった人間の人間性を想いながら書いているわけじゃなくて、結局ぜーんぶ自分!自分!自分!自分かわいそう!!ってことしか言ってなくない?従順な奴隷を失った男がそのことをいくら嘆いても薄ら寒いっつーんだよ

 

結局、男の死別ブログって≒自分は「便利なもの」を失った!かわいそうなのは自分だけ!死んだ人間より自分がかわいそう!!(だってかわいそうなぼくちゃんをひとりぼっちにした!!)ってことなんじゃない???

だいたい亡くなった相手のことを同じ人間だって思っていたら、何年もそんな感じでいられなくない?彼女を悲しませるってまったく思わないの?この喪失で苦しんでいる人間は自分だけだって本気で思うなら、亡くなった人を本気で愛していたかどうかさえもあやしいよ。死別で履かされた悲劇の夫という下駄をいつまでも脱ぐことができない自己愛のモンスターだよ〜

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死別でクズになるルート

わたしが骨髄バンクに登録しているのはかなり身勝手な理由からだ。

「せめてあのとき骨髄移植までこぎつけられていたら、夫はもっと長く生きられた」

「いつまでも諦めきれずに苦しいのは、骨髄移植に挑戦するはずだったのに死んでしまったから」

その私憤を、途中でハシゴを外された悔しさを、見ず知らずの人の命がけの闘病に乗っかるかたちで晴らしたいだけだ。

いい人のふりをして。我ながらクズだな。

 

死別でクズになるルートって何パターンあるんだろ。

 

第1のルートは、自分から人を思ったりはせず、そのくせ誰からも愛されたがってるクズ

 

第2のルートは、被害者ヅラをしながら、もっと自分を愛してくれる相手がいるはずだと期待してるクズ

 

第3のルートは、「世界でいちばん自分を愛してくれる人間」を、際限なく物色し続けるクズ

 

この3種のハイブリッドの成れの果てが「幸せそうに見えているだけかもしれない夫婦や家族を物色しては、お前たちもいつか不幸になればいいと憎み続ける」超最悪なドクズルート。

 

わたしもクズだけど人の不幸を願っていないとこだけはマシだな。死別して急に菩薩みたいになるのもちょっとキモいけど、自分が不幸だから他人の不幸を願うって通り魔かな

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言葉の違和感

亡くなった夫のことを「伴侶」と表現することにはどうにも違和感があって、いっさい使わなかった。

今の婚約者は夫よりもさらに若いので、なおさら「伴侶」という言葉がまったくフィットしない。

もっともっと年老いたら違和感なく普通に使うかもだけど、わたしの文体でそれは無いな。シンプルに夫でいいや。

それと、妻を「ヨメ」とか「カミさん」呼びする人、カジュアルな文体で年齢層が高いとはいえ、前時代のセクシズムの名残が透けて見えて、ウッてなる。

わたしは妻でいいや。それか配偶者かパートナー。異性愛者だけが婚姻関係をむすぶわけじゃないので、性別をことさら強調しなくても良くない??

それと「未亡人」、この語源はあまりに最悪だし、性的に消費されている言葉でもあるから心底キモすぎて、「寡婦」という言葉をわざと頻繁に使ってた。

自分の文体にない言葉は使いたくないし、ブログとはいえ呪いの言葉とかも発したくない。呪詛って自分にかえってくるしな…

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