But not to me

世界の謎を解こうにも、答えを持っていたかもしれない人はすでに死んでいる/未亡人の一年/ジョン・アーヴィング

死者とともに歩く

今日、わたしと夫が住んでいた海辺の町を、たまたま用事があって訪れた婚約者と、ぶらぶら歩いてきた。

 

小田急の改札、江ノ電、海から吹く風、夫とよく行ったお店、人懐っこい住民たち、待ち合わせた場所、美味しいお店、すべてがそのままなのに、夫は亡くなってこの世にいない。

 

なんとも言えない不思議な気分だった。

 

婚約者は、わたしにとって新しい人生そのものなのに、夫に対しての罪悪感は感じなかった。

 

ただただたくさんの思い出が、足元や耳元で流れていく感じだった。それは時々洪水のようにおしよせるけど、気持ちはとても静かだった。

 

夏が終わって、海辺の町から観光客が去り、地元の人間だけで穏やかに過ごしている感じはとても良い。2年前の夫の闘病中は、必死すぎてなにも目に入らなかった。

 

今、婚約者が隣にいても、夫の元気な姿、闘病中の姿、すべてが思い出される。婚約者だけじゃなく誰といたってひとりの時と同じで、当たり前のように夫のことを考える。

 

わたしは、誰かに「自分に正直であれ」と言われれば、そうですね〜と思うし、「人に誠実であれ」と言われれば、そうですね〜と思う。

 

ひとつだけ言いたいのは、もしも神が、神の名を語るなにかが、こういう内面の自然な動きまでを断罪するというのなら、おまえらのほうが最初から人間の心や脳の仕組みを変えるべきだったんじゃない?ってことで、もともと人間の内面をこういう風に作っておいて、それをジャッジされても結構困る。

 

死が、あれほど無慈悲に訪れるのを嫌というほど見せておいて、今さら宗教的な意味あいにおいての説教をされるすじあいもないような気もする。

 

婚約者と歩きながらアイスを食べたりして普通に楽しかったけど、内面ではこういうカラマーゾフの兄弟みたいなことをずっと考えていて、文章にまとめたら、なんかまたちょっとスッキリした気がする。

スニーカーをはいたり、歩いたりするのが苦にならない季節はやっぱり最高。

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